shelfはbookshelf(本棚)の意。空間・時間に対する現代的感覚・美的感覚と、俳優の静かな佇まいの中からエネルギーを発散させる演技方法で知られる。
shelfの作品は国際的な舞台でも評価されており、『GHOSTS-COMPOSITION』は2014年、ノルウェーの国際イプセンフェスティバルに招聘、2015年11月には、バンコクで現地アーティストと『[deprived]』を共同制作。2018年、『Hedda Gabler』中国ツアーでは5都市1村(武漢、南京、上海、北京、済南方峪村)を周り、武漢403新青年演劇祭、北京フリンジフェスティバル、済南方峪ARTフェスティバルに参加した。
shelfはbookshelf(本棚)の意。空間・時間に対する現代的感覚・美的感覚と、俳優の静かな佇まいの中からエネルギーを発散させる演技方法で知られる。
shelfの作品は国際的な舞台でも評価されており、『GHOSTS-COMPOSITION』は2014年、ノルウェーの国際イプセンフェスティバルに招聘、2015年11月には、バンコクで現地アーティストと『[deprived]』を共同制作。2018年、『Hedda Gabler』中国ツアーでは5都市1村(武漢、南京、上海、北京、済南方峪村)を周り、武漢403新青年演劇祭、北京フリンジフェスティバル、済南方峪ARTフェスティバルに参加した。
Rintrik-あるいは射抜か...
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「nora(s)」
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[deprived] Bang...
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Hedda Gabler(英語...
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GHOSTS-COMPOSIT...
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その他
【EPAD】
かつてとても美しかった谷があった。若い恋人たちや旅行者の多くが訪れたその谷は、しかしいつの頃からか若い恋人たちが生まれたばかりの自分たちの赤ん坊を投げ捨てに来る場所となってしまった。それも日に20体、30体という赤ん坊の遺体が投げ捨てられるようになった。あるときふらりと現れてその谷に住まうようになった盲目の老女リントリク。彼女は雨の日も嵐の日もただ捨てられた赤ん坊を拾い埋葬し続けた。最初は彼女の存在を恐れた村人たちもいつしか彼女を畏れ敬うようになっていった。
ある夜、一人の若者がリントリクのもとに赤ん坊を抱えて訪ねてくる。その赤ん坊を若者は埋葬してくれとリントリクに願う。その後、その赤ん坊の母親である若い娘と、娘の父親である猟師が現れ...
ダナルトは、ジャワのケジャウェン(※ヒンズー、アニミズム、イスラムがミックスした民族宗教)の精神的な教えをルーツに持つ神秘主義的な作家である。shelfの矢野は、社会的、文化的、宗教的文脈や価値観のまったく異なるこの作家のテキストを丹念に翻訳するところから始め、他者理解の可能性と、生と死あるいはアジア文学における女性の描かれ方について、舞台制作を通じて探求を試みる。またこの作品は、東京-ジャカルタを結ぶ長期国際共同制作プロジェクト「交差/横断するテキスト:ミステリーとミスティカルのあいだで」の第一弾として計画された。クリエイションパートナーであるLab Teater Ciputatのバンバン・プリハジは今回、shelfがダナルトの『Rintrik』に挑むのと同じく、三島由紀夫の『卒塔婆小町』を舞台化する。
EPAD・・・「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業」
(文化庁「文化芸術収益力強化事業」)の略称です。
本サイトでは、同事業において、新旧の舞台芸術の映像を配信できるように権利処理した作品に【EPAD】の印をつけています。
川渕優子/沖渡崇史/綾田將一/横田雄平/アルダ
劇作家(上演台本執筆)・演出家:矢野靖人
/原作者(小説家):ダナルト/翻訳者:山下陽子/装置家:矢野靖人/音響プランナー:矢野靖人/衣裳デザイナー:矢野靖人/照明プランナー:久松夕香/記録映像・編集:江藤孝治/宣伝美術写真:原田真理/宣伝美術ヘアーメイク:TERACHI/宣伝美術:オクマタモツ(956D)/シンポジウム配信協力:山吹ファクトリー/プロジェクト通訳:アルダ/舞台監督:川口眞人(レイヨンヴェール)/助成:公益財団法人東京都歴史文化財団/アーツカウンシル東京/企画・制作・主催:一般社団法人shelf
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演出ノート:
妻でなく、娘でなく母親でもなく女でもない一人の人間として扱われることを求め、しかしそれが裏切られることによって、すべてを捨て家を出たノラ。今改めてこの戯曲を読み返すと、ここには近代以降の人間の自我の問題、「私」とは何者か? という答えようのない問いが含まれている。本公演は、日韓の演劇人を中心に国際共同制作を実施。近代的「自我」の問題に取り組むとともに、東アジアからみたヨーロッパ文化の受容史を検証したい。
演出 矢野靖人
川渕優子 Yuko KAWABUCHI/春日茉衣 Mai KASUGA/ミウラケン Ken MIURA/日ヶ久保香 Kaoru HIGAKUBO/Cho Yu Mi (soo)
構成・演出:矢野靖人
原作:ヘンリック・イプセン
翻訳:毛利三彌、他
衣装:竹内陽子/照明:則武鶴代/制作助手:アマンダ・ワデル/提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場/協力:アトリエ春風舎/後援:ノルウェー王国大使館/共催:第20回BeSeTo演劇祭実行委員会/企画・製作・主催:shelf
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「政治」というものについて考えたい。政治といっても政府や政治家の話ではなく、人と人とが二人以上集まった場に必ず発生する政治的なふるまいや、言葉の力、特に発語という行為について考えたいと思う。
取り扱うテキストは、太宰治の小説、武者小路実篤のエッセー、日本国憲法前文や、 第一次大戦に従軍して戦死したイギリス詩人の詩、等。
それらを用いながら、人間の主体について、 即ち「私」、「私たち」、「国民」、「国家」、そしてそも「人間」とは何であるか? について考察し、人間のその発語行為の為される現場を捉え、私たちの生きるこの閉塞した世界を穿ちたい。
川渕優子/小川敦子/三橋麻子/沖渡崇史/横田雄平/GANDHI WASUVITCHAYAGIT/SUMONTHA SUANPHOLRAT
演出:矢野靖人 Yasuhito YANO
衣装協力:竹内陽子 Yoko TAKEUCHI/映像:TECHIT JIROPASKOSOL/テクニカル・チーム:THONG LOR ART SPACE/フェスティバル・キュレーター:Wasurachata Leon Unaprom/助成:公益財団法人セゾン文化財団、国際交流基金/企画・制作:shelf/主催:Low Fat Art Fest 2015
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初演時演出ノート:
shelf2016年第一作目となる新作は、TPAM2016(国際舞台芸術ミーティング@横浜)ショーケース参加作品としておよそ120年前に書かれたイプセン傑作戯曲「ヘッダ・ガブラー」を題材に、現代を生きる私たち自身の問題や在り得るべき将来のビジョンを描きます。
以下は創作プロセスの初期段階で書いた、演出の覚え書きからの引用です。
そうだ。ヘッダは極めて凡庸な、ありふれた女性なのだ。21世紀の現在の視座から見てしまえば。それではしかし、この“戯曲”の持つ底知れない魅力は十全に引き出せない。私たちは踏まえなければならない。当時の文脈をどこまでリアルに想像し、身体で感覚しそしてそれを如何にして現代に設え直し得るか? という。(それは単に設定を現代に置き換える、等という安易な行為を指すものではない。)
例えばイプセンの戯曲には、いわゆる名台詞というものがない(と思う。)だからいつもテキレジはとても苦労する。何故なら、例えば冗長な台詞を、冗長だからといって削っていくと、何もかもが跡形もなく無くなってしまうからだ。そう、イプセンがイプセンたる所以、イプセンのテキストのエッセンスというものがあるとしたらおそらくそれは、きっとそんなところにある。つまり直接には決して語られない“意識”の流れを、どう掬い上げ、舞台の上に塑像し得るか。言葉の表層的な意味ではないそれを、しかしリアリズム的な発想から出来るだけ遠く離れて。
今回は発語のスピードを徹底的にコントロールすることから始めたいと思っている。人を取り巻く環境としての圧倒的な量の情報の渦。猛スピードで人を通り過ぎていく情報。そこに置き去りにされる人間の尊厳。
身体の不在。不在とか、凡庸さとか、空虚さ、抜け殻のような身体の表象を造形するのはしかし、頗る困難だ。それはまるでドーナツの真ん中の穴を作るような作業だから。
アクティングエリア中心にトルソーを置きたい。それはそのものそのままでなくとも良い。アナロジー、メタファーとしての人形。首のないマネキン。 それが僕にとってのヘッダ・ガブラーだ。[…]
昨今の我々日本人を取り巻く日本の、あるいは世界各所で巻き起こりつつある過剰な(そしてアンバランスな)ナショナリズムの勃興とポピュリズムの跋扈という、この時代の大きなうねりのようなものを目の前にし、個々人や集団の政治的な”振る舞い”というものに今、非常な関心を寄せています。
演劇の持つ集団創作という特徴的な創造プロセスを通して、集団を作らなければ生きていけない人類の営みが必然的にその内に孕む”政治的な振る舞い”について、今後もより一層、深く思考を巡らしていきたい。
それが人の世の出来事というものの僅かな、しかし確かな意味であり価値のあることの一つで、そしてそれが人と人とが共にその時間を生きるということなのだろうと思っています。
上演時間は80分を予定しています。
最後までごゆっくりお楽しみ下さい。
川渕優子/三橋麻子/沖渡崇史/横田雄平/小川敦子
原作:ヘンリック・イプセン/翻訳:毛利三彌/構成・演出:矢野靖人
照明デザイン:則武鶴代/Lighting Design:Tsuruyo NORITAKE/衣装:竹内陽子/Costume Design :Yoko TAKEUCHI/写真撮影:原田真理/Photo:Mari HARADA/宣伝美術:オクマタモツ/Graphic Design:Tamotsu OKUMA/映像:TANJC/Video:TANJC/プロダクション・マネージャー:加藤智宏/Production Management:Tomohiro KATO/後援:ノルウェー王国大使館/back up:The Royal Norwegian Embassy, Tokyo
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ギリシャ悲劇にも比せられるイプセンの傑作。三幕の家庭劇。愛のない結婚を否定しつつも、因襲的な観念に縛られて放縦な夫のもとに留まり、夫亡き後も家名を守るため偽善に終始してきたアルヴィング夫人。夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、可愛い一人息子のオスヴァルが、病を患って帰ってくる。帰国した息子は夫人の召使いのレギーネを自分の伴侶にと望むが、彼女が他ならぬ彼自身の異母妹であることを知らされる。
親の犯した過ち。その償いをさせられる子。誰もが無自覚なままに繰り返される悲劇。――法や道徳、宗教への不敬、近親相姦や自由恋愛の擁護、性病など当時の社会ではタブーであった様々な題材を取り扱いながら、近代以降の人間の精神の在り様に迫る、イプセン代表作の一つ。
「わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ。あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものもわたしたちには取りついてましてね、そういうものがわたしたちには、現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに――それがわたしたちには追い払えないんです。」
川渕優子/春日茉衣/森祐介/沖渡崇史/文秉泰/三橋麻子
作:ヘンリック・イプセン Henrik Ibsen/翻訳:毛利三彌 Mitsuya MORI/構成・演出:矢野靖人 Yasuhito YANO/衣装:竹内陽子 Yoko TAKEUCHI/照明:則武鶴代 Tsuruyo NORITAKE/記録映像:TANJC/助成:公益財団法人セゾン文化財団
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ギリシャ悲劇にも比せられるイプセンの傑作。三幕の家庭劇。愛のない結婚を否定しつつも、因襲的な観念に縛られて放縦な夫のもとに留まり、夫亡き後も家名を守るため偽善に終始してきたアルヴィング夫人。夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、可愛い一人息子のオスヴァルが、病を患って帰ってくる。帰国した息子は夫人の召使いのレギーネを自分の伴侶にと望むが、彼女が他ならぬ彼自身の異母妹であることを知らされる。
親の犯した過ち。その償いをさせられる子。誰もが無自覚なままに繰り返される悲劇。――法や道徳、宗教への不敬、近親相姦や自由恋愛の擁護、性病など当時の社会ではタブーであった様々な題材を取り扱いながら、近代以降の人間の精神の在り様に迫る、イプセン代表作の一つ。
「わたしたちには取りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ。あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものもわたしたちには取りついてましてね、そういうものがわたしたちには、現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに――それがわたしたちには追い払えないんです。」
川渕優子/春日茉衣/森祐介/沖渡崇史/文秉泰/三橋麻子
作:ヘンリック・イプセン Henrik Ibsen/翻訳:毛利三彌 Mitsuya MORI/構成・演出:矢野靖人 Yasuhito YANO/衣装:竹内陽子 Yoko TAKEUCHI/照明:則武鶴代 Tsuruyo NORITAKE/記録映像:TANJC/助成:公益財団法人セゾン文化財団
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