第1回(1994年)大賞:松田正隆
坂の上の家
作品解説
長崎のとある坂の上に立つ一軒家には本上家の三兄妹、幸一、慎司、直子がつつましく暮らしており、父母は五年前に鬼籍の人となっている。七月二十三日から八月十六日までの間に展開するこの物語は、精霊流しの印象的な情景をはさみながら、幸一の恋人との別れと復縁や、予備校をやめ料理人になることを決意する慎司の転機などを、寡黙な台詞が描き出す静けさの中に、やわらかなさざ波のように織りあげていく。語られはしないが、三人の背中には亡くなった父母の残した大きな欠落感が取り返しようのない闇のようなものとなって無言のまま身をこごめている。寡黙であるにもかかわらず長崎弁の台詞の積み重なりが生み出す生々しい手ざわりも忘れることができない。(岡野宏文)